今回は17世紀に活躍したイングランドの思想家ホッブズを紹介します。彼はピューリタン革命から王政復古に至るまでの激動の時代を生きた人物です。
社会思想家としていわゆる「社会契約説」を説いたことがよく知られていますが、彼が哲学者・自然科学者として主張した「機械論」も後世に大きな影響を与えていると思います。
ルネサンスから近代へ
ではまず略歴から。
トマス・ホッブズ(1588-1679)はイギリス国教会の牧師の子として生まれます。
ホッブズが生まれた1580年代のイギリスは、宗教問題その他で強国スペインと対立を深めている時期でした。「戦争前夜」という感じだったのです。
ホッブズの母は「スペインの無敵艦隊が襲来!」という一報に驚いて産気づき、早産になってしまったとも言われています。
これは何カ月か早いフライングのニュースだったようですが、実際この年に有名な「アルマダの海戦」が行われ、イギリスがスペインの無敵艦隊を破っています。
成長したホッブズはオックスフォード大学を卒業した後、有力貴族(デボンシャー伯となったキャベンディッシュ家)の家庭教師として雇われます。
そして1610年、その仕事の一環でフランスを旅行しました。
当時のイギリスの貴族子弟は学業の修了時にヨーロッパ大陸へ見聞旅行に出かける習慣があったので(グランドツアー)それに家庭教師として付き添ったのですね。
フランスはホッブズにとって縁の深い国になり、その後、彼が亡命する際にもフランスを選んでいます。
興味深いのは、フランスから帰国した後の1620年前後に有名なフランシス・ベーコン(1561-1626)の秘書を務めていることです。
実はこのフランシス・ベーコンも思想史上の超重要人物で、抽象的な議論よりも実際に実験や観察をすることを重んじる「経験論」という流れの祖とされています。
きちんと見てみればイギリスには中世から経験論の萌芽はあったのですが、この時代に改めてその流れを強く打ち出したのがフランシス・ベーコンだったというわけですね。
ここから「イギリス経験論」(英国経験論)と呼ばれる潮流が生まれ、イギリスは伝統的に経験論が強い国となります。
そしてホッブズもまたその流れの中にある1人と言っていいでしょう。
2人の関係について詳しいことは分かりませんが、若きホッブズはベーコンから大きな影響を受けたと推測されます。
ちなみに僕の素朴な印象としては「フランシス・ベーコンはルネサンス時代後期の人」というイメージがあります。
一方、ホッブズの人生の後半はすでに世界史で習う市民革命が始まっていて、もう「近代の幕開け」という感じです。
なので近代の人であるホッブズがルネサンス時代の人と交流があったというのは不思議な感じがします。
実はホッブズは長命で91歳(!)まで生きているので、よくよく計算すれば分からなくはないのですが。
ルネサンスの残り香があるところから近代へと移り変わる時代を駆け抜けたということですね。
ピューリタン革命と王政復古
さて当時のイギリスでは絶対王政を志向する「王党派」と議会での意思決定を重視する「議会派」の争いがのっぴきならない状況にまで来ていました。
そして1642年、ついに国王軍と議会軍との間で内戦が勃発します。ピューリタン革命の始まりです。当時の王はチャールズ1世でした。
実はすでに内戦勃発の2年前、ホッブズは一足早く政情不安を感じ取ってフランスに亡命していました。
著書である『法学原理』が国王支持の書だと見なされ(実際にそうだったと思いますが)身の危険を感じたためとも言われています。
そして数年後に遅れてフランスに亡命してきた王太子(後のチャールズ2世)の家庭教師を務めることになりました。
有名な著書『リヴァイアサン』は亡命先のフランスで執筆したものです。
やがて内戦はクロムウェルたちの活躍によって議会派の勝利に終わります。チャールズ1世は処刑され、イギリスは共和国となりました(1649年)。
ホッブズは間もなく帰国し、クロムウェル独裁下の共和国政府に忠誠を誓って帰順することになります。『リヴァイアサン』も無事出版されました。
ホッブズとしては身の安全こそ確保されていたものの、「お前、どうせ王党派だろ」という目で見られ、あまりいい感じの扱いではなかったようです。
ところがクロムウェルが亡くなると、彼の独裁政治に不満を募らせていた人々はかつての王政を懐かしがり、どんでん返しで1660年に「王政復古」が実現します。
チャールズ1世はすでに殺されていたため、ホッブズが教えていた王太子がチャールズ2世として王位についたのです。
ようやくホッブズにも栄光の時が!……と思いきや、今度は「共和国政府に忠誠を誓っていたヤツだろ」みたいな目で見られ、やはりあまりいい思いはできなかったようですね。
この後さらに歴史は進展し、それまでイギリスを支配していた王の系統(スチュアート朝)が追放され、外国から王を招く「名誉革命」が起こります(1688年)。
ただホッブズはその9年前に世を去っていました。
機械論と唯物論
ではホッブズの思想そのものに目を転じてみましょう。
ホッブズの思想としてまず重要なのは「機械論」ですね。
機械論とは「動植物を含めたこの自然界を大きな〈機械〉だと見なす思想」のことです。
機械仕掛けの時計をイメージするといいのですが、時計はいくつかの歯車やネジなどの小部品からできていて、それらが一定の規則に従ってカチコチと動いています。
機械論によると、大自然もまた(スケールは違うけれども)小さな部品から成立していて、それらが自然法則に従って運動している機械のようなものだというわけです。
以前デカルトの記事を書いたときにこの機械論に触れたことがあります。デカルトも機械論を唱えた人です。
実はホッブズとデカルトは知り合いで思想的な交流がありました。
ホッブズはフランスで長く過ごしていますが、そこでデカルトなどの思想家たちと出会っています。知的サークルのようなものができていたのですね。
そしてどうも彼らのグループの中で機械論のような考え方が育まれていったのではないかと思われるのです。
そこにはガッサンディやメルセンヌといった著名な機械論者たちもいました。内部論争もあったようですが、大きな傾向としては機械論を共有していたのです。
この機械論でポイントになるのは「機械論は自然から〈意味〉を奪う」ということです。
例えばあなたが友達とケンカをしてしまい、腹を立てながら帰宅している途中だとします。
そこで野球のボールが飛んできてあなたの頭に「ゴンッ!」とヒットしてしまったらどう感じるでしょうか?
もしあなたがスピリチュアルな人ならここで「友達にひどいことを言ったからバチが当たったのかな」「天が私に何かを教えようとしているのかな」などと感じるかもしれませんね。
このように人間とは物事や出来事に何らかの〈意味〉を感じてしまう生き物です。
これに対して機械論者は「そんなのは迷信だ」「誰かがボールを投げ、そこをたまたま君が通っただけだ」「それらの動きはすべて物理法則で説明できる」と答えます。
どんな出来事や現象であれ、そこに特別な〈意味〉のようなものはなく、ただ物理的自然法則に従って必然的に起きているだけだと主張するわけですね。
機械論は自然や世界から神秘性を剥ぎ取ってしまいます。世界が機械であるということは、要するに世界は「モノ」に過ぎないということです。
こう考えると機械論は「唯物論」と非常に相性がいいことが分かると思います。
事実、ホッブズも唯物論者だと言っていいでしょう。
ちなみにデカルトは物体(=機械)とは別に「精神」という別種の実体があることも認めていたので、目に見える世界については機械論者ですが決して唯物論者ではありません。
神は物体である?
さてホッブズは唯物論者であると述べました。
確かにそれはそうなのですが、現代人が「彼は唯物論者だ」と聞いてイメージする人とは違う一面もあります。
それは彼の宗教観を見ることでよく分かります。
唯物論とは要するに「この世界にはモノ(物体)しか存在しない」という思想です。
こう言うと現代人なら当然「目に見えない神のようなものは否定しているのだろう」と考えると思います。
ところがホッブズは神の存在を信じていました。それもかなり熱心に(^^;)
世界にはモノ(物体)しか存在しないと言っているが、神だけは例外なのか?
そう考えたくもなりますが、彼の書いたものを読む限りどうもそうではなさそうです。
世界にはやはりモノ(物体)しか存在しません。
そして彼によれば神は存在します。
要するにホッブズによれば、神は物体として存在しているのです!
物体であるということは「空間的な広がりがある」「移動ができる」といった特徴を持っているということを意味します。
もちろんホッブズが「神は物体である」と言っても、土や水のように目に見える素材からできていると考えていたわけではありません。
彼の言い方からすると、神とは人間の知覚では捉えられないような希薄な物体であると考えていたようです。
イメージとしては空気のようなものですが、空気ならば呼吸をしたり走ったりする時に人間はその存在を知ることができます。
神は空気よりもさらに希薄で人間には決して知覚できない物理的実体なのでしょう。
この「物体としての神を認める」という思想は現代人には風変りに思えます。ただ数は少ないものの、思想史を見渡せばホッブズ以外にもいることはいました。
例えばデモクリトスに代表される古代の原子論者はそのように考えていたようです。またその原子論の系譜に属するエピクロスも同様です。
さらにストア派の思想家たちも同じような考え方を持っていました。
つまり古代の一時期「神=物体」という思想があったことはあったのですが、近代以降はほとんど見られないもので、少なくとも僕はホッブズ以外にこういう風に考えた思想家を知りません。
死後の霊魂はないけど復活はする
また唯物論者であるホッブズは死後の霊魂を否定しています。
人が死んだら霊になってあの世に旅立つというのは迷信だと主張するのです。
世の中には「私は霊を見た」という人もいますが、ホッブズはそんなものは錯覚だとしてハッキリと否定しています。
彼なりに人間の知覚のメカニズムを説明し、そこから錯覚が発生するプロセスを論じています。
この辺の議論は現代の心霊現象否定論にソックリです(^^;)
ホッブズ流の「ほら、人間はこんなに錯覚を生みやすい生き物なのだよ」と強調して霊の目撃情報を否定するやり方は現代の唯物論者たちの原型になっている気がします。
ところがその一方でホッブズは熱心に聖書を信じていましたので、そこに記されている「死者の復活」は受け入れています。
人間が死ぬといったんはそのまま終わりになります。霊魂は存在しないのでその人の肉体も生命も消滅するわけです。
しかし終末が訪れてキリストが再臨する時、人間たちは肉体も魂も復活するというのです。聖書にそう書いてあるからですね。
さてこういう風に見てくると、ホッブズは僕たちの常識で簡単に分類することができない思想家であることが分かります。
唯物論者であると同時に有神論者であるとか、霊魂を否定しながら終末の復活を信じているとか……。
1人の人間の思想というのは複雑なものであって、「この人は○○主義者」などと分類するのはあくまで便宜上のことに過ぎないのだということを改めて感じさせてくれます。
今回はホッブズ思想の世界観・宗教観をご紹介しました。
次回「ホッブズ(2)社会契約説とリヴァイアサン」では、彼の主著『リヴァイアサン』に記された「社会契約説」について論じたいと思います。