アリストテレスの哲学(2)すごい業績を大まかに紹介

哲学者ごとの解説

 

「アリストテレスの哲学(1)アリストテレスの生涯」では、彼の人生をご紹介しました。

アリストテレスの哲学(1)アリストテレスの生涯
今回は古代ギリシャの哲学者アリストテレスを取り上げます。 アリストテレスはプラトンの弟子です。 前にも書きましたが、ソクラテス→プラトン→アリストテレスと続いた師弟関係の流れは「世界史上の奇跡」にも思えます。 この3人は西...

 

今回はアリストテレスの業績の全体像を少しだけお話します。

詳しい内容を紹介するのは無理なので「どれだけ幅広かったのか」「どれくらい後世に影響を与えたのか」といった観点から概観してみたいと思います。

 

論理学・自然学

 

アリストテレスは「万学の祖」と呼ばれており、非常に幅広いジャンルの学問を研究しました。ほとんど彼が独力で一から創り上げたような学問もあります。

またそれらは非常によくまとまっていたため、後世まで長く影響力を持ちました。

 

例えば「論理学」です。

(現在分かっている範囲内では)論理学はアリストテレスから始まったと言っても過言ではないでしょう。しかも、彼の段階ですでにほとんど完成形に近いものが出来上がっていました。

 

よく「三段論法」という言葉を聞きますよね。例えば……

 

「人間は皆死ぬ」(大前提)

↓↓↓↓↓↓

「ソクラテスは人間である」(小前提)

↓↓↓↓↓↓

「だからソクラテスは死ぬ」(結論)

 

……というやつです。アリストテレスはこの三段論法の種類を非常に多く集めて、どういう三段論法が論理的に正しくてどういう三段論法が間違っているのかを整理しました。

 

もちろんその後の微修正はあったようですが、アリストテレスの論理学は19世紀から20世紀にかけて「記号論理学」というものが出てくるまでなんと約2300年間(!)ほとんどそのまま通用する完成度だったのです。

しかも別に「記号論理学が正しくてアリストテレス論理学が間違っていた」というわけではなくて、記号を用いることで論理学を数学みたいに計算しやすくしたということです。

もちろん計算しやすくなったおかげで、それまで知られていなかった論理法則などがたくさん発見されましたが。

これだけでも彼の業績の凄さが分かっていただけるのではないでしょうか。

 

でもまだこんなものではありません。アリストテレスが築いた「自然学」も中世・近世までは大きな影響力を持っていました。現在で言うところの自然科学に関する研究です。

 

例えばアリストテレスは、師プラトンやその弟子エウドクソスの築いた天文学説を受け継いで古代としてはかなり完成された理論にまとめました。

それは「天動説」ではありましたが、少し後の時代に活躍したプトレマイオス(紀元後2世紀)の天動説と並んで後世に大きな影響を与えたのです。

また、アリストテレスは物体が「なぜ」「どのように」運動するのかを研究しています。現在の物理学に相当するものですね。

 

基本的に正しかった論理学とは違って、アリストテレスの天文学や物理学は16世紀から17世紀にかけて起きた「科学革命」によって間違いが明らかにされ否定されることになります。

ガリレオ・デカルト・ニュートンなどがアリストテレス自然学と格闘してそれを葬ったことからいわゆる「近代科学」が始まったわけです。

 

アリストテレスの自然学について「近代科学が〈乗り越えるべき壁〉〈反面教師〉として役に立った」と見るか「長いこと近代科学の出現を阻んできた前近代の遺物」と見るかは人それぞれでしょう。

ですが、こちらも2000年近く学問の世界を支配し続けたのです。それだけ自然をよく観察して説得力のある理論にまとめていたわけです。

ガリレオたちが自然現象を測定し(数学を自然界に当てはめて)実験を繰り返すということをやり始めてようやく「あれ? アリストテレス先生のおっしゃることと違うような……(汗)」ということが分かってきたんですね。

 

これをアリストテレスの責任にするのは酷というものです。むしろ後世の学者たちの多くが、古代の本を読むばかりで実際の実験・観察を軽んじてきたことがよくないのではないでしょうか。

あの世にいるアリストテレスとしても、自分の本を権威に祭り上げて近代科学をいじめる人が出てくるというのは本意ではなかったでしょう。

 

生物学・存在論・倫理学・文芸論

 

さて、まだまだありますよ(^^;)

 

記録に残っている中では、アリストテレスは「生物学」や「動物学」を本格的に研究した最初の人だろうと思います。

机上の議論ではなく、実地に様々な土地の生物を観察しています。研究仲間や弟子たちが各地にいましたので、彼らにも協力してもらって集団で研究をしていたと推測されています。

 

この辺りはプラトンとの違いがよく出ていて面白いと思います。

プラトンにとって大事なのはイデアであって、しかもそのイデアはこの世(現象世界)を超えたところにあります(少なくとも中期のプラトンまでは確実にそうです)。

だからプラトンにおいては「数学」「哲学」など抽象的な学問が重視されました。

 

ところがアリストテレスはイデアはこの世の事物に「内在」していると考えますので、イデアを知ろうと思ったらまずこの世の事物を研究しなければなりません。生物の中に宿るイデア(理念)を解明したいというわけです。

 

とは言え、アリストテレスも抽象的な学問を軽視していたわけではありません。『形而上学』という有名な本では、抽象的な哲学理論を展開しています。

例えば「存在するとはどういうことなのか」を問う「存在論」のようなものがあります。

プラトンのイデア論も存在論と言えば存在論かもしれませんし、存在論はそれ以前の思想家にもありましたが、アリストテレスは存在論を明確に学問の対象(しかも第一の学問)として意識した点で特筆されます。

またこの『形而上学』の中にはアリストテレス流の「神学」も含まれています。神についての学問です。

 

まだまだまだあります(笑)

特に重要なのは「倫理学」ですね。要するに「道徳論」です。またこれと連続するものとして「政治学」も重要です。

アリストテレスの自然学が克服され棄てられたのとは対照的に、彼の倫理学や政治学はいまだに重要な学説の1つとして生きています。

またアリストテレス的な倫理学を復活させようとする現代の思想家もけっこう多いんです。アリストテレスの倫理学と政治学については書き切れないので改めて記事にしたいと思います。

 

それ以外にも「弁論術」「詩学」などの分野で業績を残しています。後のヨーロッパでは弁論術が学問のジャンルとして非常に重視されましたが、それはこの辺りに淵源があるようです。

プラトンも弁論術について言及していますが、それは「真理の探究」ではなく「演説で人々を扇動する技術に過ぎない」としてやや否定的に見ていました。

アリストテレスは弁論術自体は価値中立的なものと考えてその技術を客観的に考察しています。

 

アリストテレスを研究すると文化が興隆する

 

まだあるかもしれませんが、このくらいでやめておきましょう(笑)

 

僕が特に注目していただきたいことは「アリストテレス研究が起こると文化が興隆する」という現象があることです。

 

紀元5世紀に西ローマ帝国が滅びると、アリストテレスを含めたギリシャの学問がいったん西ヨーロッパから失われました。そこからヨーロッパは「暗黒時代」に突入したと言われています。

最近では「暗黒時代とまでは言えない!」と言って再考も進んでいるようですけどね。でも、文明の科学的側面が衰えたというのは否定できないと思います。

 

ところが9世紀にイスラム世界でアリストテレスの翻訳が進み研究が再開されると、イスラム圏は全盛期を迎えることになりました。

当時はイスラム圏が世界で最も繁栄し、文明的にも高みにあったとよく言われます。

さらに12世紀ごろに今度はヨーロッパで翻訳・研究が盛んになると、そこでいわゆる「12世紀ルネサンス」が起きるのです。

 

もちろんこれらの運動で翻訳・研究されたのはアリストテレスだけではなく、古代ギリシャ科学の文献などもありましたが、アリストテレスが特に重視されていたのは紛れもない事実でしょう。

13世紀の有名な神学者トマス・アクィナスなどはキリスト教神学をアリストテレス哲学と融合しようと試みます。

その結果、キリスト教世界においても(少なくとも世俗の学問については)アリストテレスは圧倒的な権威となっていきます。

 

やはり「現実の事物の中にイデアを見出す」というアリストテレス精神が導入されると、そこの科学文化は興隆していくのではないかなと個人的には思っています。

 

さあ、とにかくすごい「大大大大学者」であったことはご理解いただけたのではないでしょうか(^^;)

「哲学の歴史」いや「学問の歴史」において、これほどのスーパースターがあと何人いるでしょうか?

 

「アリストテレスの哲学(3)目的に満ちた世界(自然学)」では、彼の自然学について、その基本的な部分だけ触れてみたいと思います。

アリストテレスの哲学(3)目的に満ちた世界(自然学)
「アリストテレスの哲学(2)すごい業績を大まかに紹介」では彼の業績を概観しました。 今回はその中でもアリストテレスの「自然学」がどんなものだったか、そのさわりだけご紹介したいと思います。 ここを見ておくと、アリストテレス...