霊が存在する理由(2)懐疑も度を超せば有害

宗教哲学

 

前回記事「霊が存在する理由(1)否定しがたいケースの存在」では、幻覚とは考えにくいパメラ・レイノルズという人の臨死体験をご紹介しました。

霊が存在する理由(1)否定しがたいケースの存在
今回から「霊」「魂」をテーマにいくつか記事を書いていきたいと思います。簡単に言えば「人間は死んだ後も、霊あるいは魂として存続するのか」という問題について論じていきます。霊と哲学の本質的な関係このブログは哲学や思想の解説ブログですが、僕として...

 

今回も引き続き、いくつかの事例を考察してみたいと思います。

 

エベン・アレグザンダーのケース

 

レイノルズ以外にも興味深い臨死体験の事例はあります。

 

なかでもアメリカのエベン・アレグザンダーの臨死体験は近年話題になりました。

彼は著名な脳神経外科医でした。職業柄、自分の患者たちがよく臨死体験の話をするのを耳にしていましたが、唯物論者だったため軽く聞き流していたそうです。

ところが、そんな彼自身が「細菌性髄膜炎」という難病にかかり生死の境をさまよった際に臨死体験をしてしまったというのです。

 

アレグザンダーの場合は大腸菌が脳に侵入して大脳皮質が炎症を起こし、7日間、昏睡状態に陥りました。その間、彼の大脳が機能停止していたことは確認されています。

しかしアレグザンダーは鮮明に「死後の世界」を体験していたのです。奇跡的に回復した後、彼はその体験をノートに書き留めるようになります。

彼は死後の世界で美しい女性に出会ったと言います。そして意識を回復した後、その女性は彼自身も会ったことのない実の妹(故人)だったことが判明したのです。

アレグザンダーは生後すぐに養子に出されました。その後、実の両親のところには妹が生まれていましたが、彼はそのことを知る由もなかったのです。

臨死体験をきっかけとして彼の周りに起きた一連の出来事は家族愛というものを再確認させてくれるものでとても感動的です。彼の著書『プルーフ・オブ・ヘブン』はお勧めです。

 

アレグザンダーは脳神経外科の権威であり、「幻覚だ」と言って彼の体験を否定してくる唯物論者たちに対して詳細な反論をしています。

別に批判者たちに教えてもらうまでもなく、「脳がどんなメカニズムで幻覚を引き起こすのか」「それにはどんな種類があるのか」なんてアレグザンダーは百も承知なわけです。

アレグザンダーは彼の体験を説明できるかもしれない脳神経科学の仮説をたくさん取り上げて自ら吟味しています。そしてそれらを1つひとつ反駁しているのです。

臨死体験者本人が脳神経外科医であり、カルテやデータを通じて、その時の自分の脳が何かを鮮明に体験できるような状態ではなかったことを理路整然と説明できるのです。

これは他の事例にはないユニークな点だと言えるでしょう。

 

生まれつき目の見えない人が視覚体験をする

 

さて以上のような「脳の機能が停止していた」という事例以外にも、「脳の幻覚」では説明できない臨死体験の事例はあります。

 

その1つとして「生まれつき目の見えない人が、臨死状態において視覚的な体験をする」という事例があります。

臨死体験ではすごく鮮明な視覚体験をすることが多いと言われています。ところが批判者の多くはそれを「過去の記憶から映像を再構成した幻覚だ」と説明しようとするのです。

しかし生まれつき目の見えない人は一度も視覚体験をしたことがないわけですから、「過去の記憶から再構成した」という説明が成り立ちません。

これは唯物論的な医学の観点からは説明不可能だと言えるでしょう。

 

この事例は単に「霊がある」ということの証明になっているだけではなく、「霊(魂)には病気や障害はないこと」を示唆していて興味深いものです。

例えば「目が見えない」というのは(眼・神経・脳などにおける)身体機能上の障害ですが、これは霊(魂)が肉体に宿っている期間だけのことです。

つまり霊が肉体から離脱してそれだけになれば、霊が本来持っている様々な機能は回復すると思われるのです。

これは、現在様々な障害に苦しんでいる方々にとっては大きな希望ではないでしょうか?

 

「まるごとウソだ」という説

 

このように臨死体験についてはほとんど疑いの余地なく裏付けられた事例が存在します。

しかしこれを否定したい人たちとしてはまだ最後の手段があるのです。

それは「こういう臨死体験の報告はすべてが丸ごとウソである」と主張することです(笑)

 

例えばアレグザンダーの事例は詳細かつ具体的な報告であり、普通なら疑えるようなものではないと思えます。

しかし前回のレイノルズの事例と比べると、確かに違いもあります。

パメラ・レイノルズは意識を失っていた間の出来事(手術室での様子や医師たちの会話)を描写し、それが事実だったことが確認されています。

アレグザンダーはこのような客観的に確認できる情報を提示しているわけではないので、彼の報告が正しいのかどうかは厳密に言えば「検証不可能」かもしれません。

霊界で様々な体験をしたというのも彼がそう言っているだけであり、否定派が頑強に「彼の話は丸ごと作り話だ!」と主張すれば、説得するのは難しくなります。

先天的に目の見えない人が視覚体験をしたという事例でも(幻覚だとは言えないので)「彼らは嘘をついている」と言えばいいことになります。

これは失礼な話ですし、多数の報告があることへの解釈としては不自然でもありますが、「嘘だ」という主張も(論理的には)不可能ではないかもしれません。

 

しかしレイノルズのケースはどうでしょうか?

彼女が報告した意識喪失中の出来事はすべて確認されています。それらが事実であったことについては、治療に関わった医師チームの証言があるわけですね。

もちろんそれだけではなく、治療カルテもあれば、脳波をはじめとする様々な測定記録なども揃っています。

こういう事例まで「嘘だ」と言うなら、本人・家族・病院関係者などが数十人規模で共謀し、口裏合わせや記録の捏造など金と時間のかかる作業をしたことになります(笑)

 

ここまで疑うなら、一流の科学雑誌に載ったすべての研究も疑わないとフェアではないでしょう。「確かな捏造情報でもない限りそちらは疑わない」というなら一貫しません。

懐疑精神も「健全」と言える範囲内なら有益ですが、それが度を超すと、反対に真実の探究を阻害するようになります。

一定の条件を満たしたクオリティの高い報告を全否定するようなレベルの懐疑主義だと、調査に基づく再現性の低い学問は一般的に成り立たなくなるでしょう。

 

以上のことを考えるならば「常識的な判断力を持った人が臨死体験の報告を吟味すれば、霊の実在を疑うことはできない」と結論してよいと思われます。

 

僕自身の臨死体験(?)

 

実は僕自身も「もしかしてあれは体外離脱だったのかな?」と思えるような体験をしたことがあるんです(笑)

 

それが起きた時期も含めて記憶が曖昧なので「僕も体験した。だから真実なのだ!」と主張するつもりはありません(メモしとけばよかった……)

否定派にツッこまれたらしどろもどろになってしまうレベルの体験談ですので、あくまでオマケとして聞いて下さい。

 

大学院生の頃に住んでいた川崎市のアパートだったと思うのですが(そこからしてすでに記憶があやふや)とにかく僕はウトウトしていました。

ふと気がつくと、僕は空に浮きながら岡山の実家を見下ろしていたんです(^^;)

その後、僕は降下して家に入っていき、家の中をしばらくウロウロしました。

足もしっかりあって床をミシミシ踏みしめる感触がリアルだったことを覚えています。自分の野球バットがあったので無意味にブンブン振り回したりしました(笑)

 

否定派からすれば「どうせ夢でしょ」と言いたくなるようなものでしょうが、あまりに鮮明だったので僕としては体外離脱だったのではないかと考えています。

今現在の記憶が曖昧なのはそれを記録せずに時間が経ってしまったためで、その当時の僕としては非常にリアルな体験に動揺したことを覚えています。

とは言え、第三者に対して何かを証明できる材料があるわけではありません。否定派に対して「幻覚ではない理由」を提示することもできません。

この体験は、自分の信念を補強するものに過ぎないということは自覚しています。

ただ僕としては、似たような体験が数多く報告されているので、「やはり自分も実際に体外離脱して魂が実家に飛んで行ったのだろう」と考えています。

 

さて最後の体験談は余計だったかもしれませんが、僕なりに臨死体験について思うことを述べてきました。

次回「霊が存在する理由(3)幽霊を科学的に調査する」では、いわゆる「幽霊を見た」という目撃事例について考えます。

霊が存在する理由(3)幽霊を科学的に調査する
前回記事「霊が存在する理由(2)懐疑も度を超せば有害」では、近年の臨死体験研究をご紹介しながら、霊が存在すると結論せざるを得ない理由を述べてきました。ところで霊の存在証明については臨死体験研究だけが重要というわけではありません。他にもありま...

 

〈参考文献〉

  • 『プルーフ・オブ・ヘブン』(エベン・アレグザンダー著、白川貴子訳、2013、早川書房)