「自由意志はない?(1)自由意志と道徳」では、自由意志を認めなければ道徳が成り立たなくなるというお話をしました。
今回は、「自由意志がないことを実証した」と言われている科学実験のことを紹介したいと思います。
リベットの実験
ここで注目するのは、1985年にアメリカのベンジャミン・リベットという生理学者が行った実験です。
白状しておきますと、僕はこの実験を報告した論文を読めておらず、この実験を説明したいくつかの2次文献に頼っています。
リベット本人がこの実験も含めた自身の研究をまとめた『マインド・タイム』という本は読んでいますが、専門外の僕にはなかなか難しくて間違った解釈をしている可能性もあります。
ただ「リベットの実験は世間一般にはこのように理解されている」という部分に関してはお伝えできるのではないかと思います。
その実験とは、次のようなものです。
その実験に参加した被験者たちは「自分の好きな時に腕を曲げて下さい」と言われます。その腕の動きがあった時間は手首につけた電極で測られていました。→①
身体を使って運動するときは、脳の補足運動野というところで電気的な変化が起きます。それは脳波計で測定できますのでそれもやります。→②
さらに、被験者たちが「よし、腕を曲げよう!」と意識的に「自覚」した瞬間を特定する工夫もします。
被験者たちの前に画面があり、そこでは点が円く回転しています。彼らが「腕を曲げよう」と自覚した瞬間に点が画面のどこにあったかを報告することで、運動の意志を「自覚」した瞬間が特定できるというわけです。→③
つまり3つの時間を比較できるわけです。①腕を動かした瞬間、②腕を動かすための「脳活動」が起きた瞬間、③腕を動かそうという意志を「自覚」した瞬間、の3つです。
その結果、何が分かったか……。この3つの時間を比較すると、次のような順番になっていたのです。
②脳活動
↓
③意志の自覚
↓
①腕の運動
これは「被験者たちが『腕を曲げよう』という意志を自覚するよりも前に脳活動が起きていた」ということです。
つまり「脳活動という物理的な現象が〈原因〉であり、人間の意志が生じるのはその〈結果〉にすぎない」という解釈が成り立つというわけです。
これは衝撃的な実験結果でした。
僕たちは普通、自分で自分の意志を決定していると考えていますがそれは錯覚で、その意思決定というのも実はそれより前に起きている脳の活動によって予め決まっているというのです。
この実験は要するに「人間の意志は各人が自由に決定しているのではなく、実際には脳内で起きている物理現象によって意志が生じる」という事実を強く示唆しているように思えたわけです。
自由意志の否定にはなっていない?
この実験、一般的には「自由意志を否定するもの」と受け取られているのですが、実は当のリベット本人はそう解釈してはいないんです(笑)
1985年の実験では、②脳の電気活動→③意志の自覚→①身体の運動、という順番で推移することが分かりました。
でもリベットはもう1つ別の実験もやっていて、人間は脳活動から実際の身体運動までの間にその運動を「中断」できるということをそこで示したのです。
人間はまるで人形やロボットのように、脳活動に従って意志や運動が生じているのではなく、その脳活動に逆らった選択もできるというのです。
リベットはここに人間の自由意志を見出しました。
その「中断する」という意志もまた脳活動から起きているのではないか?……こういう疑問も湧いてきますが、リベットによると「その『中断』という意志決定に先立つ脳内現象は確認できない」とのことです。
その後の研究の進展をフォローできていないので今は分かりませんが、もし「中断という意志決定は脳活動によるのではない」という見解が現在も覆されていないなら、確かに自由意志の余地があることになりますね。
別の研究者(ヘインズ)によるもっと近年の実験では「リベットが考えていたよりもずっと早く最初の脳活動が起きている」ことが示されたというのですが、行動の直前に中断できるならこれも自由意志を否定するものではなくなるでしょう。
これ以外にもまだ論点はあります。
知覚や意志などの心が関わる現象と「時間」との関係については謎が多いんです。
例えば(肌を触るとか)皮膚を刺激するという場合、事態は次のように推移すると考えられます。
①皮膚への刺激
↓
②その刺激が神経を通って脳に到達
↓
③「皮膚を触られた」という意識的自覚が生じる
これもリベットの実験なのですが(この人スゴイですね)、①→②→③にどのくらいの時間がかかるのかを計測しました。
実は皮膚に触れなくても〈脳の中の皮膚感覚を感じる部分〉を刺激することで、人間に「皮膚に触られている」という感覚を生じさせることができます。
この場合、上の①がカットされて②→③だけになっているので、当然ながらそれに必要な時間は①→②→③の場合よりも短くなるはずです。
ところが実際に両方を計測してみると、結果は逆でした。実際に皮膚を刺激した場合(①→②→③)の方が、脳を直接刺激した場合(②→③)よりも、人間がそれを自覚するのにかかる時間が短かったのです。
より多くの手順を踏んでいる場合(物理的時間としてより多くの時間がかかるはず)の方が、主観的にそれに気づく時間が短くなる……。
リベットはこれを「主観的な時間遡及が起きている」と表現していますが、そのメカニズムは不明だと言います。
これと最初の実験に直接の関連があるかは分かりませんが、とにかく「心と時間」の関係というのは一筋縄ではいかない難しい問題を含んでいるのです。
こういう疑問がある以上、「自由意志はないと判断するのは早すぎる」というのがリベットの意見ですし、僕もそう考えたいと思います。
さらに言えば、問題となった実験はいずれも「手首を曲げる」「ボタンを押す」などの単純運動についての意志を単独で切り取って扱ったものです。
哲学などの「抽象的思考」、もののあはれなどの「複雑な情緒」、さらにそうしたものからできあがっている「大きな人生観」……。これらに基づくような意志決定については何も分かっていないというのが実情でしょう。
さらにもう少しオカルトに踏み込んでいいとすれば、他の記事でも書いているように僕は脳とは独立した心の存在(つまり魂とか霊)を信じています。
そうであるならば、最初のリベットの実験が正しいとしても、心(つまり魂)における自由な意思決定 → 脳内物理現象 → 意識的自覚という因果関係を考えても構わないわけです。
この場合も「自由意志の存在」は守られます。
さて、以上のことを考え合わせるならば、リベットたちの実験を直ちに「自由意志の否定」につなげるのは早計であると思われます。
自由意志に関しては、これ以外にもまだまだ語るべきことがありますので、引き続き述べていきたいと思います。
「自由意志はない?(3)決定論とは」では、自由意志と関連の深い話題として「決定論」という説についてご紹介します。