霊が存在する理由(5)大いなる慰め

宗教哲学

 

前回記事「霊が存在する理由(4)すべて偶然だ?」では、確率論を用いて霊の目撃体験を否定する議論に対する再反論を述べました。

霊が存在する理由(4)すべては偶然だ?
前回記事「霊が存在する理由(3)幽霊を科学的に調査する」では、19世紀から20世紀にかけて科学的な心霊現象研究が起こったことをご紹介しました。 今回もこの時期の心霊研究に関連して、僕が大事だと思うことを論じてみたいと思います。 研究者たちが...

 

今回はこれまでの記事も踏まえながら、「霊が存在する」と言える理由をまとめておきたいと思います。

 

理由① 否定しがたいケースが存在する

 

まず1つ目の理由として、「どう考えても霊の存在を想定しなければ説明できない」という事例が存在することが挙げられます。

 

例えば、記事「霊が存在する理由(1)否定しがたいケースの存在」で紹介したパメラ・レイノルズの事例です。

彼女は脳の機能停止が客観的に確認されていたにもかかわらず、まさにその時間に起きた出来事を描写したのでした。そしてその描写が正確であったことも確認されています。

脳がシャットダウンしていたのですから「脳の幻覚だ」という説は通じません。

レイノルズが想像で適当なウソをつき、たまたまそれが当たっていたのでしょうか?

彼女は医師たちの会話や手術器具の様子を正確に言い当てています。素人の想像でそんな細部描写ができる可能性はゼロでしょう。

それ以外のどんな唯物論的な解釈を持ってきてもレイノルズのケースは説明できません。

彼女の霊が(本人がそう主張する通り)身体を抜け出して、周囲の様子をつぶさに観察していたと考えるしかないのです。

 

こういう否定しがたいケースが1つでもあれば、それで霊の存在証明として十分です。

それでも否定したければ、あとは「レイノルズや医師たちが共謀して嘘をでっち上げた」と言うくらいしかなくなるでしょう。

しかし「病院関係者数十人が共謀して、時間と手間と金のかかる嘘をついた」と言うほどの懐疑主義者であるなら、一流科学雑誌に載った調査や実験の報告もすべて疑うべきです。

そのレベルの懐疑主義になったらもはや日常生活は送れません。科学云々以前の問題になってしまいます。

 

理由② 多数の出来事に共通する要素がある

 

2つ目の理由として「お互いに関連のない個々の体験に共通する特徴がある」ということが挙げられます。

 

臨死体験であれば、国籍・性別・年齢・人種・民族・宗教といったものに関係なく、多くの人が似たようなパターンの体験をすることが知られています。

例えば……

・暗いトンネルを通って明るい場所に出る体験をする。

・先に亡くなった親族に会う。

・知覚が先鋭化する(いつもより鮮明になる)。

・体外離脱をする。

・聖なる存在と出会う(そこで現れる「聖なる存在」は宗教や文化によって異なる)。

・走馬灯体験(ライフ・レビュー)が起こる。

 

臨死体験の研究者たちは、多くの事例に見られるこのような体験を「コア体験」と呼んでいるようです。

あらゆる事例において上に挙げたパターンがすべて揃っているというわけではありません。

多くの臨死体験では典型的なパターンのうちいくつかは現れますが、現れないものも多いのです。例えば「体外離脱はしたけどトンネルは通っていない」という感じですね。

しかし膨大な臨死体験の事例をまとめていくと、上のようなコア体験が頻繁に現れることは確かなのです。

このように全世界で広く報告される共通要素があるわけです。これが偶然とは考えられず、体験者や目撃者による嘘や錯覚では説明できません。

 

これに対して「暗い場所を通って明るい場所に出るとかいう話は広く浸透している」「だからみんな似たような幻覚を見るのではないか」という反論も寄せられました。

事前にそういうイメージが頭の中にあるから、何かのきっかけでそれが映像化されるのだというわけですね。

しかし最初にキュブラー=ロスやムーディなどの研究者が事例収集を始めた1960年代から、すでにコア体験は広く見られました。

その頃はまだ世間に「臨死体験とはこういうもの」というイメージは(TVや書籍を通じて)広がっていませんでしたが、体験者たちは最初から似通った内容を話していたのです。

さらにコア体験については、大人の場合も(臨死体験を詳しく教わったとは考えにくい)幼児の場合もまったく同じ内容がほとんど同じ確率で現れることが分かっています。

したがって「イメージの浸透」で説明しようとする上の反論は成り立ちません。

 

理由③ 同じ出来事を複数人が目撃している

 

3つめの理由です。同じ出来事を複数人が目撃している場合、当然ながらその体験談の信憑性は高まり、幻覚や錯覚では説明しづらくなります。

 

例えば「霊の出現」の研究ですが、ある研究では幽霊を目撃した事例のうち30%は複数人による同時目撃だったそうです。

僕は一次資料に当たっていないので孫引きになってしまいますが、その後の研究でも「複数人による幽霊の同時目撃」が多いことが裏付けられているようです。

 

また同時ではなくても、「別々の人たちが同じ場所で同じ幽霊を見る」というのはよく聞く話ですよね。

古いホテルや旅館だと「必ず若い女の幽霊が出る」「かなりの確率で座敷わらしが出る」といった部屋が存在することがあります。

ホテルなどの実名は伏せられることがほとんどですが、この手の話は数多いのです。

噂が広がった後の目撃事件なら先ほどの「イメージの浸透」理論が当てはまることもあるでしょうが、噂になる前のことは説明できないでしょう。

 

また以前も述べましたが、臨死体験の分野では「臨死共有体験」というものがあります。

死の淵にある人の周囲にいる人々(家族など)が同時に不思議な体験を共有する現象です。

例えばおじいちゃんが病院のベッドで亡くなりそうだという時に、すでに亡くなっているおばあちゃんが現れ、親族たちがそれを同時に目撃するということが実際にあります。

これも「脳による幻覚」では説明できません。脳ミソはそれぞれ別なのですから全員の脳が揃いも揃っておばあちゃんの幻覚を見たという説明は不合理です。

 

理由④ 膨大な報告数

 

4つ目の理由として、幽霊の目撃や臨死体験の報告数がすでに膨大なものになっていることが挙げられます。

 

いつの時代も膨大な幽霊話・臨死体験談がありますが、懐疑派・否定派はよく「数は問題ではない」「錯覚や嘘がそれだけ多いというだけだ」と反論します。

確かに「数の多さ」をそれだけ取り出してきてもダメだという意見にも一理くらいはあるかもしれません。

しかしその膨大な報告の中には、すでに述べたような「否定しがたいケース」もあります。

また膨大な報告を整理すると「コア体験」のような共通要素を抽出することもできます。

さらに膨大な報告の中には複数人による同時目撃も数多く含まれています。

そのようなことを知った上で改めて報告数の膨大さを考えてみれば、ある程度の基準を満たした信頼のおける事例が数多く蓄積されているという事実はやはり重いでしょう。

 

ヴァージニア大学医学部では1000件以上の臨死体験の記録を研究してきたそうです(さらに2000件以上の「生まれ変わり」報告の記録もあります)。

さらにアメリカの医師ジェフリー・ロングが設立した臨死体験研究財団(NDERF)も1000件以上の事例を分析しています。

やや古い調査で恐縮ですが、アメリカのギャラップ社などが1990年代に行った一連の統計では、臨死体験者は全世界で6000万人に上ると推測されています。

僕が知らない最近の調査がもしあれば、もっと数が増えているかもしれません。

 

以前ご紹介したイギリスの心霊現象研究協会(SPR)が「霊の出現」を研究した『生者の幻像』(1886年刊)という書籍は良質な報告を約700件に絞って記載しています。

しかしその背景にはさらに膨大な事例があります。十分な証拠がないとして却下されたものを含めて、SPRは1890年代に万単位の統計調査も行っているのです。

要するにそれだけ数が多いということです。

 

大いなる慰め

 

以上、霊が存在すると断言できる理由を僕なりにまとめてみました。

僕としては、霊の存在はすでに「証明」されている「事実」だと考えています。「仮説」とか「意見」とかいうレベルを超えているのです。

何をもって「証明」と見なすかは、確かに科学哲学における難問です。「証明された」「証明されていない」の二分法ではなく、どちらとも判定しがたいグレーゾーンがあります。

しかし教科書に出てくるような物理法則が「証明」されていると言うなら、霊の実在もそれと同じ程度には「証明」されていると言えます。

すでに集まっている膨大な報告を先入観なしに検討するならば、それ以外の結論はあり得ないからです。

 

したがって哲学をはじめとするすべての学問は「霊の存在」を前提に議論をしなければならないでしょう。

やがてこうした認識が広まって誰もが認めざるを得なくなれば、学問の世界でもこの問題を冷笑しつつスルーする態度は許されなくなるでしょう。

今回は「霊が存在する理由」と題してポイントだけまとめましたが、もっと詳しい議論をKindle本にしてまとめていますので、興味があればぜひ読んでみて下さい。

霊の存在が社会や文化にどんなインパクトをもたらすか、そして人間の倫理道徳に与える影響など、もっと広い見地からの考察も含んでいます。

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いずれにせよ「死んだら消滅するわけではない」と学問的に証明されているなら、死の不安も解消されるのではないでしょうか?

愛する人と死別するという辛い体験をした人でも、その別れは永遠ではありません。愛する者同士なら再会できる希望もあるでしょう。大きな慰めになると思います。

死後にどんな世界が待っているのかについては、科学的・哲学的研究だけでは今のところ分からないかもしれません。

しかしこれまでご紹介した研究だけでも、「死んだら終わり」というような刹那的な人生観とはオサラバできるのではないでしょうか。

もしあなたが死の不安に怯えているなら、これらの研究を知って魂が永遠であることを確信していただければ幸いです。