自由意志はない?(4)決定論への反証候補

科学哲学

 

「自由意志はない?(3)決定論とは」では、決定論とはどのようなものかについてご紹介しました。

自由意志はない?(3)決定論とは
「自由意志はない?(2)リベットの実験」では、「人間に自由意志はない」ことを示唆すると言われている科学実験を紹介しました。 人間が自分の意志で決めたと思っている行為でも、「よしやろう!」と意思決定を自覚するよりも前に脳の活動が起きており、人...

 

簡単に言うと「(人間が何を意志するかも含めて)宇宙の未来の出来事はすべて最初から決まっている」というのが決定論の考えでした。

言い換えると「その時点における物理的状態(初期条件)と、その後の運動を決める物理法則さえ知っていれば未来は計算で知ることができる」ということになります。

 

しかし物理学の世界では、こうした考え方を危うくするような事象が知られています。今回はそれをご紹介したいと思います。

 

決定論への反証候補①――カオス

 

 

決定論を危うくする問題の1つが「カオス」というものです。

 

決定論では「初期条件と物理法則が分かっていれば未来は確実に予測できる」と考えるわけですが、少なくとも実際問題としては長期予測が不可能な領域があるのです。

 

例えば天気予報などの気象シミュレーションが典型的ですが、ここでは初期条件がほんのわずかでも変わると長期的な予測に巨大な違いが生じることがあります。

気象シミュレーションの際に必要な初期条件がどんなものか僕は詳しく知りませんが、想像するにその時点での「気温」やら「湿度」やら「風速」やらでしょうか。

こういった値がほんの少しでも変わると(例えば小数点第4位以下での違いでも)未来の予測が恐ろしく変わってくるというのです。

 

これを専門的には「初期条件に対する鋭敏な依存性」と言い、現象の予測が不可能であることを「カオス」(caos)と言います。

私たちは小数点第何位以下の小さな値をどこまでも正確に知ることはできないため、「少なくとも〈実際問題としては〉長期予測は不可能」ということになるのです。

 

天気がどう推移するかは多くのファクター(要因)が絡まり合った非常に複雑な現象ですよね。

数学的には(例えば3つ以上の物体がお互いに引力を及ぼし合う場合など)事態が一定以上に複雑になると、予測が不可能という意味でのカオスが発生することが分かっているそうです。

 

ということは、僕たちの身の回りは複雑な現象ばかりですから、未来にどのような状態になるのかは計算によって求めることはできないことになります。

脳の中だってカオスでしょうから、脳状態が未来のある時点でどうなっているかは分かりません。

脳状態が精神状態を決めるのだとしても(←これも仮定にすぎません)僕たちが未来のある時点でどんな精神状態であるかは分からないことになります。

 

これに対し「それは『人間が数学によって未来の状態を計算することはできない』ということであり、世界の動きそれ自体としては予め決定されているのだ」と反論する人がいるかもしれません。

確かにそう主張する余地は残っているかもしれません(あくまで「余地がある」ということであって根拠は乏しいと思いますが)。

 

とは言え、カオス問題が決定論にとって打撃であるのは確かだと僕は考えています。

複雑な現象を正確に計算する方法がないことは分かっているわけです。

厳密に「決定論が正しい」と証明するためには、予め計算された予測を示してそれが現実の未来と一致することを示さなければなりませんが、長期的には誤差が発生するのでそれができません。

 

つまり、もし百歩譲って世界の真実としては決定論が正しいとしても、「決定論が正しいと証明する」ことはできないと思われるのです。

 

決定論への反証候補②――ミクロ世界における不確定性

 

 

カオス以外にも決定論を危うくする現象があります。

 

量子力学によると、素粒子レベルのミクロの世界では厳密な決定論が成り立ちません。

※以下の例は、物理に関しては素人の僕が分かりやすく簡略化したものなので、実際はもう少し複雑だと思って読んで下さい。

 

例えば「ある素粒子(電子など)が未来のある時刻にどの位置にあるか」は確率的にしか知ることができません。

「ある時刻にその素粒子がA地点にある確率は50%、B地点にある確率は50%」という具合です。実際に観測してはじめて位置などが確定するのです。

 

これは「本当はもともとAかBかのどちらか一方にあるのだが、人間側としては観測するまではそれを知ることができない」というのではありません。

そうではなく「最初は〈A地点にあるという状態〉と〈B地点にあるという状態〉が『共存』しているが、位置が観測されることによってAかBかどちらかの状態へと収縮する」ということです(コペンハーゲン解釈)。

 

これは実に不思議でイメージしにくいものですが、実験や観察を誰が何度繰り返してもそういう結果になるので受け入れるしかありません。

 

僕たちの通常の感覚では矛盾するように思えること、同じ素粒子なのに〈ここにある状態〉と〈あそこにある状態〉が共存しているなどということがミクロ世界では起きているというのです。

他にも同じ電子が〈右スピンしている状態〉と〈左スピンしている状態〉が共存しているということもあります。

 

そして人間が観測した時点でどちらの状態に落ち着くのかは、前もっては分かりません。

つまり未来は「この状態になっている確率は●●%」という具合に確率的にしか決まっていないことになります。

 

決定論を守りたい人の中には「1つ1つの素粒子が非決定論的な振る舞いをするとしても、多くの素粒子が集まるとそれらの効果は相殺されて、マクロの世界ではニュートン力学的な決定論の世界になる」と言う人もいます。

しかしどういう理由でそう言っているのかは分かりません。特にそう主張する根拠はないように思えます。

 

むしろ反対に「原子・イオン・脳内化学物質・脳神経細胞(ニューロン)内の微小管など、素粒子より遥かに巨大なスケールでも量子論的な現象は起きている」と主張する科学者は多いのです。

実は「これ以上のサイズでは量子論的現象は起きない」という理論的な上限はないと言われています。

人間の脳内における化学物質やニューロン内の微小管で量子力学的な現象が起きていて決定論が通用しないなら、直前の脳状態から次の瞬間の脳状態が機械のように定まるわけではなくなり、心が自由意志を発揮する可能性があることになります。

 

決定論を主張する論者は物理学を引き合いに出すことが多いのですが、以上で述べてきた通り、物理学レベルでも決定論を根拠づけることはできません。

むしろフェアに眺める限り、現在の物理学は「非決定論が正しいこと」を強く示唆しているようにすら思えるのです。

 

「自由意志はない?(5)個性を創造する自由」では、僕自身の考えを交えながら、自由意志の議論をまとめてみたいと思います。

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