NHKで哲学をテーマにした番組をやっているようです。
先日、何となく見ていたら、昔の哲学者たちが「死」についてどんなことを言ったかということを紹介していました。
その中で出てきたエピクロス(古代ギリシャの哲学者)の言葉。
「死は我々にとって無である。
我々が生きているならば死は存在せず、
死が存在するならば、我々はもはや存在しないから」
つまり「生きている間は死なない。そして死んだらその人はいなくなって死について悩むこともできなくなる。だから心配しても意味なんかない」ということですね。
この言葉、有名なので知っている人も多いかもしれません。確かに、何か悟ったような、気の利いたセリフなので「おぉ~……」と感心してしまいそうです。
でも……
これ、死んだら自分が消滅すること前提ですよね?
そもそも死について考えてしまう人って、「死んだら自分は消滅してしまうのか不安」とか、「消えてしまうのが怖い」とかという風に悩んでいるのではないでしょうか?
そういうところへ「消えてしまうから悩んでも仕方ないよ」とアドバイスされても解決にはなっていないでしょう。
この場合、それこそ宗教や哲学者ならプラトンのように
「死んだらあの世に行く」
「善人は天国に行くから心配するな」
「悪人は地獄行きだから心配しろ」
……と言ってくれないと困ります。
もちろん「あの世なんかない」という人もいるので、哲学者の態度として正しいのは「あの世があるかないか」をまずは探究するということではないでしょうか?
そこをスルーして、気の利いたことだけ言っているなら、(いかに有名であっても)哲学としては二流でしかありません。
ところが、哲学に限らず現代のインテリの世界では、霊とかあの世とかそういう問題を真面目に扱うと「変わりダネの変人学者」「ときどきいるイタイ人」「主流派からスピンアウトした人」などとしてバカにされる傾向があるのです。
エピクロスは大昔の哲学者ですが、現代でも、人間にとって本当に大事なことをスルーしてインテリっぽい言葉を駆使しているだけの思想家・学者・評論家は多いように感じます。
あの世があるかないかについて「判断材料がなくて全く分からない」というなら理解できますが、世の中には臨死体験の話や心霊体験の話などが溢れていて、肯定するか否定するかはともかく議論のための材料はたくさんあります。
東日本大震災では多くの方が亡くなりましたが、被害地域では数多くの心霊現象が報告されており本になって出版されてもいます。
これらは人間の脳や心理が生んだ錯覚なのか、そうでないのか。亡くなった人は本当に消滅してしまったのか、それとも霊や魂として存在し続けているのか。
特に、愛する家族を失った遺族にとっては深刻な問いです。
全体的な傾向として、こうした問題への感受性を失っているなら、そうした哲学・思想・学問は「堕落」していると言えます。
そういう意味では、ハッキリ言って現代の哲学・思想は堕落しています。哲学の再生のためには人間にとって本当に大切な問題から目を逸らさないことから始める必要があるでしょう。