科学の条件とは(2)再現性について

科学哲学

 

「科学の条件とは(1)観察できるとはどういうことか」では、「研究対象が観察できるかどうか」を科学の条件として挙げる議論を紹介しました。

科学の条件とは(1)観察できるとはどういうことか
これから何回かに分けて、「科学とは何か」という問題について考えをまとめてみたいと思います。 というのも、この問題については僕もいろいろと思うところがあるからです。 科学の条件? 僕はいわゆる「死後の世界」や「霊魂」を信じていて、なぜそう思う...

 

しかし科学であることの条件としては、「再現性」という用語がちょっとインテリっぽい筋から出てきます。

少し前に小保方晴子さんの「STAP細胞」が話題になったとき、「STAP細胞は再現性がない」「だから非科学的だ」という意見がメディアで盛んに喧伝されましたので、覚えておられる人も多いかもしれません。

 

今回はこの「再現性」について扱います。

 

再現性とは

 

 

「再現性」とは要するに「観察や実験を何度やっても同じ現象が確認できる」ということです。

そして、ある現象に「再現性があるかどうか」が「それが科学的であるかどうか」の条件であると説く人たちがいるわけです。

 

科学とは自然法則を研究するものです。

そして「いつでもどこでも成り立っているのが自然法則だ」というなら、確かにその法則を確認する実験や観察は何度やっても同じ結果になるでしょう。

だから一見、「再現性」を〈科学〉の条件として挙げる考え方にも正当性があるように思えます。

 

ちなみに、この「自然はいつも同じ法則に従っている」という考え方を「自然の斉一性」と言います。「斉一性」は「一様性」と言う場合もあります。

 

再現性は万能の基準ではない

 

しかし科学の実態を見てみれば、一定以上に「再現性」を強調しすぎるのはおかしいのです。

 

例えば単純な話で恐縮ですが……

宇宙の始まりとされる「インフレーション」も「ビッグバン」も再現できるわけではないですよね。

一定のプロセスに従い、一定の順序で実験を行えば、何度でも宇宙創造を再現できるわけではありません。

それでもこれを「非科学」「疑似科学」と言う人はいません。

 

そもそも、その現象や対象の研究がそれほど十分に進んでいない段階で「再現性」を云々するのは問題が多いのです。

なぜなら、そのテーマについての研究が進んでこそ「それを再現するための条件」も分かってくるはずだからです。それまでは再現できたりできなかったりの繰り返しではないでしょうか。

したがって「再現性」に関して、ある研究を〈科学〉に含めるための「必要条件」だと考えるのは無理があります。

それを必要条件にしてしまうと、最初から再現できるものしか科学ではないことにされてしまい、ほとんどの研究が「非科学的」と言われてしまうことになります。

 

その意味で、僕はSTAP細胞の件についても「再現性」を金科玉条のごとく持ち出して断罪していた人たちには強い違和感を覚えました。

STAP細胞そのものの真偽について云々することは避けますが、少なくとも一般論として、新しく研究されている現象について「再現できたりできなかったり」というのはむしろ当然ではないでしょうか?

小保方さんは「私がやればできる」「コツがある」などと語っていましたが、生物学・生命科学のような分野なら、彼女しか知らない細かい再現条件があったとしても不思議ではないと思います。

※小保方さん本人による再現実験も失敗したと言われていますが、本人の自由にならない厳しい条件下で行われたようなので、あまり参考になりません。

 

もちろん僕としても、ある現象を科学として確定していく過程で、再現性の条件が次第に満たされていくことは望ましいと考えています。

つまり僕としては「再現性を満たさないからという理由で〈科学〉から排除するのはおかしい。ただし再現性を満たしているなら〈科学〉と認定するのに十分である」と考えています。

ちょっと難しく言えば「再現性は科学の必要条件ではないが十分条件ではある」ということです。

 

結局、ある現象に未知の要素が多い段階において「再現性がないこと」を理由にそれを斬って捨てるという姿勢は大いに問題なのです。

そんなことをしていたら、そもそも新しい科学的研究はできなくなります。

 

そもそも論ですが、世間で認められている〈科学〉には1回限りの現象を扱うような分野(天文学・地質学・火山学・考古学など)もあるでしょう。それでも立派に科学として通用しているのです。

これだけをとって考えても、再現性が科学の必要条件ではないことが分かるでしょう。科学であるための条件として再現性を加えると、現時点で〈科学〉として認められているものすら多く排除してしまうことになります。

 

結論としては、再現性という条件は科学のごく一部のジャンル(例えば理論物理学など)で、しかもすでに十分に確立した理論について当てはまるというだけです。

 

数量化できるか

 

ついでに「数量化」ということにも少し触れておきましょう。

 

科学哲学の本などを読んでいると、ときどき「科学は数量化できる自然現象を対象とする」「科学は数量化という方法で自然現象を扱う」という考え方に出くわします。

 

確かに近代の物理学は、自然の中から数値化して表現できるもの(長さ・質量・位置の変化など)を切り取って成立したとも言えます。

自然から数値化できるものを抽出して、そうした要素を「数学」という手段を使って表すことで近代科学は大発展を遂げました。これはデカルトやガリレオといった偉人たちの功績だとされています。

こうした事情があるため、自然科学を典型とする近代的な学問の特徴として「数量化できること」「数学的に表現できること」を挙げたくなる気持ちは分かります。

 

しかし一考して明らかですが、「数量化できる」ということは、理論物理学など「科学」の中でもごくごく一部にしか当てはまらない基準です。

上に挙げたような1回限りの現象を扱う科学の知見が、数学的に表現できる場合などむしろ稀でしょう。したがって、これも「科学」「非科学」を分ける基準にすることはできません。

 

今回は〈科学〉の条件として「再現性」「数量化」を挙げる議論を紹介しました。

「科学の条件とは(3)『証明しろ』と言うけれど……」では、〈科学〉の条件として挙げられる他の基準をさらに論じていきます。

科学の条件とは(3)「証明しろ」と言うけれど……
「科学の条件とは(2)再現性について」では、「それを〈科学〉と呼べるのか」を裁定する基準としてよく触れられる「再現性」について論じました。 今回も科学の条件に関する話題です。 霊や魂について議論していると、よく「そんなの〈証明〉されていない...