プラトン①哲学の原点にして頂点:イデア論

思想の解説

 

前回記事ではソクラテスの話題について触れました。

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今回はソクラテスの弟子であるプラトン(前427-前347)を取り上げます。

彼は師ソクラテスの教えを引き継ぎながら、体系的な哲学を打ち立てました。

本記事では、プラトンの中心的な教説「イデア論」をご紹介します。

 

イデアとは何か

 

20世紀前半に活躍したイギリスの哲学者ホワイトヘッドは「西洋哲学の歴史はプラトンへの膨大な注釈にすぎない」という有名な言葉を遺しています。

 それほど、歴史上プラトンの影響力は突出していたのです。

 

古代から中世を経て近世までの長期間、直接的な影響力を揮ったのはアリストテレスですが、彼はプラトンの弟子であり、プラトンを土台として自らの哲学を構築したのです。

また同じく近世までの神秘思想を長らく主導した新プラトン主義は、その名の通り、プラトンを独自に再解釈したものです。 

 

そのプラトンと言えば、やはり「イデア」というキーワードが有名です。

ギリシャ語の「イデア」というのは、英語の「アイデア」の元になった言葉で、日本語では「観念」「理念」などと訳されますが、プラトンの用語法は少し独特です。

 

では、プラトン哲学における「イデア」とはどういったものだったのか。

例を挙げて説明してみましょう。 

 

例えば数学者が紙の上で三角形を描いて「三角形とは3直線で囲まれた図形のことで、内角の和は必ず180度になる……云々」と説明するとします。

この場合、「3直線で囲まれている」「内角の和は180度」という性質を満たしているものは「三角形」であり、それを満たしていないものは三角形ではありません。

このように、それを満たすかどうかでその事物(例えば三角形)であるかどうかを判定できるような性質のことを「本質」と言います。

 

イデアとは「その名で呼ばれる(そのカテゴリーに属する)すべての事物に普遍的に共有されている本質」です。

そのイデア(本質)を有することによって、その事物はその事物であることができるのです。

 

イデアはいかなる意味で存在しているのか

 

僕たちが数学などで図形問題をやる際には、こういう三角形の本質のようなものが(何らかの意味で)存在することを前提しているでしょう。

そうでなければ、僕たちは何を対象に思考しているのか分からなくなりますから。

 

しかしながらイデアは、この世界に存在している、目に見える様々な事物とは違います。

三角形のイデアは見たり触れたりできる現実の三角形(この三角定規、あの三角巾など)とは違いますし、円形や四角形のイデアについても同じことが言えます。

 

プラトンは、この世の事物よりもイデアの方が存在として上位にあると考えました。

なぜなら、それに対応するイデアを体現してこそ、その事物はその事物であることが可能になるからです。

例えば「3直線に囲まれている」「内角の和は180度」という三角形のイデアを分け持っていなければ、その事物は三角形であることはできません。

 

事物はイデアを分け持つことによってその事物になれるというわけですね。

これをプラトンの用語で「分有」と言います。イデアを「分けてもらって有している」というイメージです。

 

感覚できる諸事物は、それとして存在するためにイデアを必要としますが、イデアの方は存在するために感覚的な諸事物を必要としません。

もし仮に感覚的な事物がすべて滅んでも、イデアは無くならないでしょう。

この世に存在する円形をした事物がすべて消滅しても、円を用いた図形問題が解けなくなるとは思えません。

ということは、円のイデアは依然として存在し続けているわけです。

 

また、イデアは人間がその頭脳で勝手に拵えたものではありません。

というのは、図形の問題は(間違うことはありますが、正しく行えば)誰が解いても同じ結果になるという特徴があるからです。

誰が実験しても、水素と酸素から水が生成されるのと同じことです。

水素と酸素から水ができるという事実がそうであるように、図形問題の事実も人間の頭脳や主観からは独立した「客観的世界に属する真理」であるわけです。

 

以上の理由から、僕は「イデアは実在する」と結論してよいと考えています。

目に見える物質や、感覚できなくても物理的に確認できる事物しか認めない唯物論者はイデアの存在を否定することが多いでしょう。

しかしそれは、時空間に一定の位置を占めるものだけを、あるいは質量・エネルギーを観測できるものだけを「存在する」と恣意的に定義しているだけではないでしょうか?

イデアのように、明らかに人間の主観を超えた客観世界に属し、感覚的事物よりも存在論的に堅固なものを存在として認めないというのは、筋が通らないと思います。

 

こう考えてよいとするなら、物体や物質などの「モノ」しか存在しないという唯物論は間違っていることになるでしょう。

プラトンのイデア論が登場した二千数百年前には、いわゆる唯物論の破綻はすでに明らかだったと考えるべきだと思います。

 

善や美のイデアも存在する

 

さてイデアは数学や幾何学の対象ばかりではありません。

ソクラテスやプラトンの哲学でもっと重要なのは、「善のイデア」「美のイデア」など倫理や価値観に関わる諸イデアでした。

この世の善い出来事や善い行為は、善のイデアを分け持つことによって善いものであり、美についても同様です。

 

確かに「善」や「美」となると、図形の対象よりも茫漠としていて、その本質をバシッと言葉で抽出するのは難しいかもしれません。

善や美については、人によって考え方や感じ方が違うじゃないかというわけです。

 

しかし、善悪や美醜の判断についても(しばしば幅があるとは言え)大枠については人々の意見は一致します。

意味のない快楽殺人が正しいと主張する人はおそらくいないでしょう。ダイヤモンドと犬のフンを比べて、後者の方が美しいと感じる人も少ないでしょう。

緩やかなものとは言え、個々人の主観を超えた客観的な基準が存在するわけですね。

ということは、善や美のイデアもまた、存在論的に人間の思考や感情から独立した確固たる存在であると言えるのです。

 

プラトンは善や美のイデアについては、数学的対象のイデアのようにそれを言葉で過不足なく定義し、知識として人に伝えることは難しいと考えていました。

むしろソクラテスのような賢人との対話などを通じて体得していくもの、次第に接近していくべきものと捉えていたのです。

それでもそれらがイデアであることに変わりはありません。

 

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ただしこのサービスは基礎知識を伝えるテキストなので、僕の主張が強いイデアの存在問題についてはあまり触れていません。むしろここで言いました(^ ^ ;)

 

プラトンの弟子アリストテレスはイデア論を修正しつつも継承しました。そのアリストテレスが近世までの思想や科学を支配することになります。

キリスト教の哲学者たちも「神がイデアを創造した」と説いて、キリスト教神学の中にイデア論を吸収したのです。

こうして、イデア論は(肯定・否定はともかく)後世の西洋哲学のほとんどすべてに組み込まれることになります。

 

西洋哲学はプラトンへの膨大な注釈に過ぎなかったというホワイトヘッドの言葉もあながち大袈裟ではありません。ある意味でその通りでしょう。

 イデア論を学んでおくことは、(イスラム圏も含めて)西洋思想の枠組みを知る上で必須であると言えるのです。(了)

 

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