地動説の物語を扱った『チ。-地球の運動について-』という漫画作品があります。
最近(2024年)、アニメで放映されたのでさらに有名になったかもしれません。
残酷な描写が多くて気にはなるものの、ストーリーは面白いので僕も見ていたのですが、少し気になるシーンに出くわしました。
ソクラテスは死について無知だった?
それは第一部の主人公ラファウが「死の先なんか誰も知りません」と主張しながら、その裏付けとしてソクラテスの発言を引用するシーンです。
そのソクラテスの発言とは「誰も死を味わっていないのに、誰もが最大の悪であるかのように決めつける」というものです。
この文脈でこのセリフを持ち出せば、まるでソクラテスが死後についての不可知論者(知ることはできないと主張する人)であったかのような誤解を生むでしょう。
この誤解は、この漫画以外でもしばしば出てくるものなので、ここで正しておきたいと思います。
実を言えば、上の発言よりももっと「ソクラテス=不可知論者」という説を補強してくれそうな別の発言もあります。
ソクラテスは自著を遺しておらず、彼の発言は弟子プラトンの著書の中に記録されていますが、そこには次のような言葉があります。
- 自分はあの世について十分には知っていない。
- 死とは無に帰すことなのか、魂があの世に移ることなのか、どちらにしても結構なことだ。
しかも、ソクラテスは「自分は大切なことについて何も理解していないと自覚している」とも語っています。これが有名な「無知の知」ですね。
ここだけを知っていると、ソクラテスは「魂が死後も存続するのか」(死後の世界があるのか)について判断保留していたかのように考えてしまうかもしれません。
ソクラテスは死後の問題についても、(他の問題と同様に)正直に無知であることを告白している……というわけです。
魂の永遠不滅はソクラテス哲学の基礎
しかし、この理解は間違いです。
まずソクラテスは、彼なりの論法で何度も「魂が不滅であることの証明」を試みています。その証明が妥当であるかどうかはともかく、彼が魂不滅論者であったことだけは確実です。
また、魂が肉体を脱け出してあの世を見聞してきたという青年エルの物語を紹介するなど、「魂は永遠不滅である」「死後の世界はある」という彼の信念は確固たるものでした。
それならどうしてソクラテスは「自分はよく知らない」などと言ったのでしょうか。
それは彼一流の「空とぼけ」(エイロネイア)と呼ばれるやり方です。
ソクラテスは議論において自分はよく分かっていないふりをして、相手を立てて気持ちよく語らせるという方法をとっていました。
その後で、相手のその議論をやりこめることが多かったのですが( ^ ^ ;)
上で引用したソクラテスの発言は、空とぼけにすぎないのです。
ソクラテス哲学のキーワードは「永遠性」です。
ソクラテスは人間の肉体よりも魂を重視しましたが、それは肉体がいつか滅び去るのに対して、魂は永遠不滅であるからに他なりません。
だからこそ、永遠に自分自身である「魂」にこそ配慮し、その魂を立派なものにせよ(=徳を磨きなさい)と訴え続けたのです。
なお、肉体というのは「仮に宿っている場所」「死ぬ時に脱ぎ捨てるもの」であり、〈その人自身〉ではありません。
ソクラテスは魂が何度も肉体を変えながら地上に生まれてくる「転生輪廻」を説いています。これは仏教やヒンドゥー教の専売特許ではなく、古代では常識に近いものでした。
そういうわけで、「魂の永遠不滅性」はソクラテス哲学の基礎であり骨格です。
ソクラテスの全哲学がこの事実にかかっているのです。ここを否定するなら、彼の哲学はすべて崩壊してしまいます。
したがって、これについてソクラテスが判断保留していたなどということはあり得ません。
ラファウが引用した「誰もが死を悪だと決めつける」という言葉も、「死については分からない」ではなく、「死は肉体の軛からの解放であり希望である」というニュアンスがあるのです。
ただしソクラテスは自殺に関しては「神々から与えられた使命を勝手に放棄するもの」として批判しています。念のため……。
フィクションである漫画のワンシーンに目くじらを立てるのはどうかとも思いましたが、間違った理解が広まってもよくないので、あえて指摘させてもらいました。
なお『チ。』では異端審問官ノヴァクが激しく地動説を弾圧していますが、これも誤解を生みかねません。実際には、地動説だけを理由に死刑になった人はいないとも言われています。
- 他の思想(宇宙の無限性など)との合わせ技で、思想全体が異端と判定されて処刑されたジョルダーノ・ブルーノのような人はいます。
作中では「地動説を異端として弾圧していたのは、その地域だけだった!」というオチをつけていますが、これは史実との乖離を避けているのかもしれません。
ともあれ、ソクラテスが「魂の永遠性」を確信していたことは動かせない事実です。
これがキリスト教思想と交差しながら、後世の西洋思想の中核を構成していきました。
誤解がないようにしたいものです。
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