マルクス番外編(2)自覚なき社会主義者

哲学者ごとの解説

前回記事「マルクス番外編(1)税金が高いのは社会主義」では、現代に残る社会主義の残滓の1つとして「私有財産の軽視」があることを挙げました。

これが「高い税金」として現れているわけです。

マルクス番外編(1)税金が高いのは社会主義
前回および前々回の記事では、マルクスの共産主義がどうして全体主義に陥るのか、その理由をまとめました。 この「ズバリの共産主義はダメだ」という考えはすでに日本でも多くの人に共有されていると思います。 しかし、より広い「共産主義...

 

今回は、社会主義のもう1つの特徴である「計画経済」「統制経済」が僕たちの社会にどのように残っているのかを見てみます。

 

当然のように企業に命令する政府

 

まず今の日本は「産業の国有化」とか「配給制」とかいうレベルではないので、その点ではよいと思います。

しかしそれでも「日本の政治家は本当に『自由主義』というものを理解しているのだろうか?」と首をかしげたくなるようなニュースがしばしば流れてきます。

例えば……。

 

携帯電話各社は基本料金を下げるように政府が指示した。

企業は派遣社員と正社員の待遇を同じにするよう政府が指示した。

企業は社員の労働時間を減らすよう政府が指示した。

 

こういうのって社会主義なんですよ(^^;)

企業の自由な経済活動に規制をかけて、政府が統制しようとしているわけですからね。

もちろん「政府は経済活動に一切関与してはならん!」と言っているわけではありません。場合によっては介入が必要なケースもあるので、以下の話も一般論として聞いて下さい。

 

例えば商品やサービスの「価格決定」は各企業がギリギリの経営判断として社運をかけてやっていることでしょう。

そういうものに対して政府が上から手を出せるはずがありません。価格のような大事なことを自分たちで決められないなら企業活動をやる意味がないのです。

今は限られた分野なのでいいかもしれませんが、これが多くの分野に広がってくると明確な「統制経済」「計画経済」になります。

統制される範囲が広がるほどその影響は見通せなくなり、それこそ悪影響が統制(コントロール)できなくなります。それが旧ソ連・東欧・中国などで起こったことです。

 

また「同じように働いているのに派遣社員と正社員で待遇が異なるのはひどい」と言って規制をかけたら、両者に同じ給料を払えない企業は派遣社員を雇わなくなるだけです。

これでは派遣社員の待遇をアップするどころか失業させてしまいます。残された正社員は彼らの分も働くことになり、ブラック企業がさらに増えるかもしれません。

派遣制度には、景気の変動に合わせて人員を調整しやすくする意味合いもあります。派遣社員もそれを承知で働いているのですから、政府が余計なことをするべきではないでしょう。

 

労働時間を減らすというのも、国が法律で一律に規制するならばやはり問題が多いと思います。

それをやれば企業活動を阻害し、経済を停滞させる恐れがあります。それさえなければ成長していたはずの将来の大企業を知らずに潰しているかもしれません。

今はブラック企業や過労死の問題がよく取り上げられていますが、それで困っている人は全体の何割なのでしょうか? 一部の問題を拡大して一律に規制するのが正しいとは思えません。

反対に「もっとバリバリ働きたい」という人もいるはずで、一律の規制はそうした人たちの自由を奪うことになります。

 

もちろん僕だってパワハラを受けながら長時間労働をするなんてまっぴら御免です(^^;)

けどそういう問題は(もし自分でどうにもできないなら)それを専門にしている弁護士・NPO・会社があるでしょうから、個別に解決してゆくこともできます。

法律にしてしまうと国家が企業を監視する口実を与え、政府による民間の支配を容易にしてしまうのでよくないのです。

 

政府与党が「給料をこうしろ」「労働時間はこうだ」「料金が高いぞ」ということをあまりにも簡単に、しかも頻繁に言い、野党もメディアもそれに疑問を感じていないのは異常です。

これに違和感を感じないとすれば、いつの間にか社会主義に洗脳されています。みんな「自覚のない社会主義者」になっているのです。

 

「規制」として生き残る社会主義

 

先ほども言った通り、現在の日本は極端な社会主義国家ではありません。

しかしそれでも、多くの分野で社会主義的な政策が「規制」というかたちで生きています。

 

よく指摘されるのは農業の特定分野ですね。例えば「コメ」です。

日本では長らく「減反政策」でコメの生産量を減らして価格を高く維持しておくということが行われていました(タテマエ上は2018年に廃止)。

そして減反政策に協力した農家には補助金を与えます。こうして国の根本である農業を保護しているというのです。

 

これは生産物の「量」や「価格」を政府が統制しているわけで社会主義に他なりません。

 

確かにコメを生産する農家としては、コメ価格が高く売れる上に補助金ももらえるという二重のメリットで守られているわけです。

しかしコメを消費するその他の一般国民からすれば、必要以上に高いコメを買わされていることになります。しかも補助金は税金から出ているわけで納税者としての負担もあるのです。

しかもそんな状況では、実はそれほどやる気のない農家であっても淘汰されず、市場に居座り続けることが可能になります。

農業には土地が要りますから、やる気のない人に退場してもらわないと本当にやる気と能力のある人が新しく参入できません。

また淘汰された人が持っていた土地を買って農地を集約することもできません。農業は大規模集約型の方が効率がよいと言われています。

 

これほど非効率で一般国民にとって実害のある規制が残ったのは、自民党政権の「補助金を出すから選挙ではよろしくね」という集票のためなのです。

 

日本では農業以外でも社会主義がまかり通っている分野がいくつかあります。例えば「医療」の分野もそうです。

日本では「こういう治療をしたらいくら」と値段が決められていて、各病院の創意工夫の余地がないようになっています。社会主義の特徴ですね。

だから病院としては「量」で稼ごうとする傾向が出てきます。本当は必要のない検査をする、本当は必要のない入院を勧める、本当は必要のない薬を処方する……。

こうして日本全体の医療費がハネ上がっているわけです。そしてそれは国民の負担というかたちで還ってきています。

 

メディアの寡占状態は民主主義の敵

 

また「放送」の分野でも、NHKや民間キー局(日テレ・テレ朝・TBS・テレ東・フジテレビ)を守る岩盤のような規制があります。

例えば、なぜかキー局は格安の使用料で公共の電波を使うことが許されています。もしこれを公平なオークションにかけたら値段が1ケタ上がるとも言われています。

これではテレビ放送に新規参入したい人たちがいても、最初から不利な戦いを強いられてしまうでしょう。

 

規制はテレビの規格にも及んでいます。テレビメーカーにも手を回して、テレビ番組と(例えば)You TubeやNetflixなど他のコンテンツとを同列に扱わない工夫をしています。

リモコンで「4を押すと日テレが映る」「8ならフジ」という風に、チャンネル番号の割り当てが決まっているのもそうです。こうするとテレビ番組以外のものと差別化できますね。

以前あるメーカーが開発したテレビは(PCやスマホのように)ホーム画面があって、テレビ番組だけではなく他コンテンツもそこから選べるようにしていましたが、キー局が影響力を持つ業界団体によって潰されてしまいました。

 

テレビ界のこういう現状は単に経済活動として不健全であるというだけではなく、民主主義にとっても危険です。

テレビ業界がNHKおよび少数のキー局の寡占状態であると、国民の多様な見解を反映することも、多様な見解を国民に伝えることもできません。

もしテレビ局が集まって「増税容認のスタンスでいこう」「今回は●●党を応援だ」などと談合してしまえば、それ以外の意見は流れなくなります。新聞についても同じことが言えます。

本来なら、多様な意見を伝える多くの新聞・テレビ局・ネットメディア等があって、それらの見解を比較しながら国民1人ひとりが自分なりに判断できるのが望ましいでしょう。

 

実際、日本以外の多くの国ではいわゆる「多局化」「多チャンネル化」が進んでいます。先進自由主義諸国の中ではおそらく日本だけがメディアの寡占状態を死守しようとしているのです。

これでは国営放送の1局独占である独裁国家を笑えません。

 

さて、いくつかの分野を例に挙げてきました。他にも銀行や幼稚園(保育園)など、社会主義的な運営でおかしくなっている分野はありますが、長くなるので割愛します。

 

社会主義は文化と繁栄を殺す

 

最後に「規制」という社会主義が社会をどう腐敗させていくか、まとめておきたいと思います。

①規制は産業構造をいびつにする。

規制は特定の人たちに特権を与えて既得権益を発生させ、それ以外の大多数の人たちには不利益を与えます。

②規制は自由競争を阻害し、文化や経済の発展を遅らせる。

社会主義的政策がその分野を衰退させてしまうのは明らかです。自動車・電化製品・アニメなど、日本発で世界を席巻したものはどれも保護や規制がほとんどない分野でした。

旧ソ連時代に僕たちを憧れさせるような文化が何か起こったでしょうか? 音楽・文学・バレエなど「ロシア文化」と聞いて思いつくのはすべて帝政ロシア以前のものです。

このように社会主義は文化も衰亡させてしまいます。もし戦後の日本で役所の指導を受けながらアニメを制作していたら……。ゾッとするでしょう(^^;)

③メディア業界の規制は、情報統制や世論誘導を容易にする。

先ほど述べたように、メディア業界の規制は既存のテレビ局・新聞による情報統制を可能にします。テレビ局や新聞社で意思決定をしているごく少数の経営陣による世論支配です。

彼らは政治家と違って「見えにくい権力」です。選挙で選ばれたわけでもない彼らの支配を打ち破るためにもメディア業界の規制緩和が求められます。

 

こうしてまとめてみると、社会主義的な規制が「全体主義」に近づいていく理由も何となくお分かりいただけるのではないでしょうか?

僕たちは「規制や保護は社会主義であること」「社会主義は全体主義であること」をしっかりと腑に落とし、社会のそうした傾向を監視していかねばならないと思います。